阪神ドラフト1期生

1966年のドラフト1期生として球団史に残る名遊撃手。

阪神の生え抜き野手では最初の2000本安打を記録し

(2人目は鳥谷敬)

名球会にもその名を連ねている。

和歌山から全国区へ

市和歌山高校時代には2年連続センバツに出場。

3年時には大会史上初の1試合2本塁打を記録し

決勝戦でも岡山東商高校・平松政次(のちに大洋入団)から

2安打して一躍脚光を浴びることになる。

プロ入り後の厚い壁

入団1年目は阪神のショートには名手・吉田義男がいたため

16試合しかショートの守備に就けずにいたのだが

2年目にはその吉田を二塁へ追いやり

129試合をショートで守った。

打撃で急成長したのが大きく154安打 30二塁打 10三塁打は

いずれもリーグ最多で、その巧みなバットコントロールにより

主に1番・3番を打って活躍する。

1971年には田淵幸一がシーズン前半を欠場。

その穴を埋めるべく28本塁打を放つなど長打力も備え4番を打ったこともある。

流れるような美しいフォームで巧打を放つ一方で

チャンスに初球をポップフライにすることも多く

第一打席でヒットが出れば猛打賞という職人肌の打者で

以外にも規定打席に達しての3割は4度しかない。

度重なる故障より復活

故障により思うように動けなくなると1978年は一塁と併用起用。

しかしここからが藤田平の本領発揮で4月30日の中日戦から

7月5日の同カードまで208打席連続無三振というとてつもない

記録を樹立する。

これは後年にイチロー選手に破られるまで19年間

日本記録として残った。

打撃ベストテンの常連でありながらタイトルとは無縁だった。

1979年4月17日の神宮でのヤクルト戦で

左大腿筋断裂という大けがを負い、選手生命さえも危ぶまれた。

しかしアメリカで手術を行い1980年に戦列復帰。

1981年には打率.358で首位打者を獲得。

同時に見事、カムバック賞を受賞した。

1983年に2000本安打達成。

1984年にユニフォームを脱ぐまで猛虎一筋

努力の選手であった。

藤田平

1947年10月19日生まれ 和歌山県出身

鳥谷選手が球団史上2人目の2000本安打を放ったが

1人目がこの藤田平(ふじたたいら)

1966年ドラフト2位で阪神入団 内野手 右投げ左打ち

通算成績は2010試合 2064安打 207本塁打 802打点 打率.286

首位打者(1981)

ベストナイン(1967・69~71・1973・1974・1981)

ゴールデングラブ賞(1973・1975・1981)

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